「ウイルス」と「ウィルス」。
小さい「ィ」が入るかどうかだけの違いですが、どちらも見かけます。
結論を先にお伝えすると、「ウイルス」を使ってください。
これは好みの問題ではありません。
1965年に日本ウイルス学会が、学術用語を「ウイルス」に統一するよう要望書を出しているからです。
そして面白いことに、この言葉は100年かけて表記が何度も変わってきました。
かつては「ヴイールス」でも「ビールス」でもあったのです。
「ウイルス」と「ウィルス」はどっちが正しい?結論から
学術用語としても、一般の文章としても「ウイルス」です。
- ウイルス … 学会が統一した表記。辞書・教科書・報道もこちら
- ウィルス … 誤りとまでは言えないが、標準ではない
学会名も「日本ウイルス学会」「日本臨床ウイルス学会」で、いずれも小さい「ィ」を使いません。
1965年、学会が「ウイルス」で統一を求めた
理化学研究所と文部科学省が公開している資料「一家に1枚 ウイルス」に、経緯が書かれています。
ウイルスは英語では「Virus」です。「Virus」はラテン語で「毒素」を意味する言葉です。この「Virus」は日本語に訳した時にどう表記するのでしょうか。実は1965年に日本ウイルス学会が「ウイルス」を統一した学術用語として使用することに関する要望書を出しています。
学会の名前を見てみても「日本ウイルス学会」や「日本臨床ウイルス学会」などで「ウイルス」が使用されています。
出典:理化学研究所/文部科学省「一家に1枚 ウイルス」(令和5年公開)/2026年8月23日確認
ポイントは「学会が要望書まで出して統一した」という点です。
自然にそうなったのではなく、ばらついていたから統一する必要があったのです。
表記は100年かけて変わってきた
同じ資料に、日本語表記の変遷が年代つきで示されています。
- 1892年 … 濾過性の病原体(のちのウイルス)が発見される
- 1898年 … 論文で「Virus」という語が使われる
- 1908年 … 日本の「細菌學雑誌」に「ヴイールス」「ヴイルス」の表記が現れる
- 1943年 … 医学用語集に「ウィールス、ビールス」と掲載される
- 1953年 … 日本ウイルス学会の設立時、学会名に「ウイルス」を採用
- 1965年 … 学会が「ウイルス」への統一を求める要望書を提出
並べてみると、「ヴイールス」→「ウィールス・ビールス」→「ウイルス」と動いてきたことが分かります。
「ビールス」という言い方があった理由
年配の方が「ビールス」と言うのを聞いたことがあるかもしれません。
これは1943年の医学用語集に載っていた表記で、当時は正式なものでした。
間違って覚えたのではなく、その時代の標準がそうだったということです。
なぜ「ウィルス」と書いてしまうのか
「ウィルス」と書きたくなるのには理由があります。
英語の発音に引きずられる
英語の virus は「ヴァイラス」に近い音です。
日本語の「ウイルス」とはかなり違います。
そのため「英語っぽく書くなら小さい『ィ』が要るのでは」という感覚が働きます。
しかし「ウイルス」は英語読みではなく、ラテン語に由来する形です。
コンピュータの世界で「ウィルス」を見かける
ソフトウェア関連の文書や製品名で「ウィルス」表記を見ることがあります。
海外製品の翻訳や、英語表記からの直訳で生まれた形です。
ただし官公庁や報道は「コンピュータウイルス」で統一しています。
- ⭕ コンピュータウイルス/ウイルス対策ソフト
- △ コンピュータウィルス(製品名など固有名詞を除く)
ラテン語ならむしろ「ウィールス」に近い
ここが少し皮肉なところです。
「ウイルス」はラテン語 virus に由来する形とされますが、
ラテン語の発音に忠実にすれば「ウィールス」のほうが近いと言えます。
実際、1943年の医学用語集は「ウィールス」を採っていました。
つまり「ウイルス」は、原語の音を厳密に写した形ではありません。
学会が使いやすさと統一を優先して決めた形なのです。
「原語に近いほうが正しい」とは限りません。
どの表記を標準とするかは、学会や業界が決めることがあるという例です。
「ヴ」を減らす流れとも合っている
1908年の表記は「ヴイールス」「ヴイルス」でした。
現在の「ウイルス」には「ヴ」がありません。
この変化は、外来語表記の全体的な方針とも一致しています。
内閣告示は「ヴァ→バ」を認めている
外来語のカタカナ表記には内閣告示「外来語の表記」という基準があります。
そこでは、日本語になじんだ語は第1表の仮名で書けるとして、次のような置き換えが示されています。
第2表に示す仮名を用いる必要がない場合は,第1表に示す仮名の範囲で書き表すことができる。
例 イェ→イエ ウォ→ウオ トゥ→ツ, ト ヴァ→バ
出典:文化庁「外来語の表記」留意事項その1(原則的な事項)/2026年8月23日確認
「ヴァイオリン」を「バイオリン」と書いてよいのは、この規定によります。
「ヴ」は無理に使わなくてよい、というのが基本方針です。
ただし告示が「ウイルス」を決めたわけではない
ここは区別が必要です。
内閣告示はどの仮名を使うかという水準の話をしており、
「ウイルス」か「ウィルス」かという語形のゆれは裁定していません。
実際、同じ告示にはこう書かれています。
「ハンカチ」と「ハンケチ」,「グローブ」と「グラブ」のように,語形にゆれのあるものについて,その語形をどちらかに決めようとはしていない。
語形やその書き表し方については,慣用が定まっているものはそれによる。分野によって異なる慣用が定まっている場合には,それぞれの慣用によって差し支えない。
- 内閣告示 … 「ヴ」を減らす方向を示した。ただし語形のゆれは決めない
- 日本ウイルス学会 … 分野の慣用として「ウイルス」に統一した
告示が「分野ごとの慣用に任せる」とした部分を、学会が引き受けて決めた。
この2つが重なって、現在の「ウイルス」という形になっています。
迷ったときの考え方
学会名を思い出す
「日本ウイルス学会」。小さい「ィ」は入りません。
専門家の団体名がそのまま答えになっています。
辞書・報道に合わせる
国語辞典の見出しも、新聞・放送も「ウイルス」です。
迷ったらこちらに合わせておけば、どんな文書でも通ります。
固有名詞は例外
製品名や会社名に「ウィルス」が含まれる場合は、その表記のまま書きます。
一般名詞として使うときだけ「ウイルス」にそろえてください。
よくある質問
「ウィルス」と書いたら間違いですか
誤りと断じられるほどではありませんが、標準ではありません。
学会が統一を要望し、辞書・報道・行政文書がそれに従っている以上、
文章では「ウイルス」を使うのが安全です。
「ビールス」はもう使いませんか
現在はほとんど使われません。
ただし1943年の医学用語集に載っていた正式な表記なので、
古い文献や年配の方の言い方として出てきても不思議ではありません。
「ヴィルス」と書く人もいますが
1908年の「細菌學雑誌」に「ヴイールス」「ヴイルス」の表記が見られます。
歴史的には実在した表記ですが、現在の標準ではありません。
英語の発音に近いのはどれですか
英語の virus は「ヴァイラス」に近い音で、どの日本語表記とも一致しません。
「ウイルス」はラテン語系の読みを踏まえた形です。
ワクチンや細菌の表記も決まっていますか
学術用語には分野ごとに定められた表記があります。
「ウイルス」のように学会が統一を働きかけた例は、専門分野では珍しくありません。
まとめ
文章では「ウイルス」を使ってください。
1965年に日本ウイルス学会が、学術用語として統一するよう要望書を出しています。
学会名も「日本ウイルス学会」で、小さい「ィ」は入りません。
この言葉の表記は、100年かけて動いてきました。
1908年は「ヴイールス」、1943年は「ウィールス・ビールス」、1953年から「ウイルス」。
「ビールス」と言う方がいるのは、その時代の標準がそうだったからです。
「ウィルス」と書きたくなるのは英語の発音に引きずられるからですが、
「ウイルス」はそもそも英語読みではありません。
むしろラテン語に忠実なら「ウィールス」のほうが近いのに、学会は「ウイルス」を選びました。
原語に近いことより、統一されていることを優先したわけです。
迷ったら「日本ウイルス学会」を思い出してください。それが答えです。
同じカタカナ表記のゆれについては「ベッド」と「ベット」はどっちが正しい?を、
分野によって表記が分かれる例については「リポート」と「レポート」はどっちが正しい?を、
仮名遣いに公的な基準がある例については「ずつ」と「づつ」はどっちが正しい?もあわせてご覧ください。
※本記事の表記の経緯に関する記述は理化学研究所/文部科学省「一家に1枚 ウイルス」(令和5年公開)を、外来語表記の基準に関する記述は文化庁「外来語の表記」留意事項その1を、いずれも2026年8月23日に確認したものです。
法令と国の告示で表記が食い違っている例としては、「ボウリング」と「ボーリング」はどっちが正しい?法律は「ボーリング場」と書いているもあわせてご覧ください。
同じ「ウイ」と「ウィ」で迷う言葉としては、「ウエディング」と「ウェディング」はどっちが正しい?「スウェーデン」が例外になる理由もあわせてご覧ください。
同じ「ウイ」と「ウィ」の仲間としては、「サンドイッチ」と「サンドウィッチ」はどっちが正しい?告示が名指しで挙げている語もあわせてご覧ください。

